2010年9月2日木曜日

特別対談・浅田次郎×大野芳(週刊新潮8/26)

☆浅田次郎(終わらざる夏上・下)と大野芳(8月17日、ソ連軍上陸す)
<戦後2日後に始った「占守島攻防戦」が日本を護った>昭和20年8月15日、人々が戦争の惨禍から解放された終戦の日。だが、その2日後に始った「戦争」があることを知る人は少ない。この不可解な戦いを小説、ノンフィクションで描き出した2人の作家が、「占守(シュムシュ)島攻防戦」とは何だったのかを語り合った。
「終戦」から2日が経過した昭和20年8月17日深夜。最北の日本領土・占守(シュムシュ)島に、日ソ中立条約を一方的に破棄したソ連軍が、突如、攻め入った。3日間に及ぶ激戦で日本軍600名以上の戦死者、ソ連軍3000名以上の死傷者を出したこの島を「もう一つの硫黄島」と呼んだ。
軍艦3、4隻。種々雑多な船(漁船・機帆船)54隻。14、15歳から50歳の民兵を徴集し上陸部隊8000人は何とか頭数を急遽編成したと考えるに至る。
まだ、日露戦争で失った樺太と、千島を手に入れてない、8月15日の時点で戦争を終わらせる訳にはいかない、というのがスターリンの意図だった。彼らは、戦後の千島列島領有権を見据えたスターリンの「人柱」だったという説がある。
安政元年(1855)の日魯通行条約で得撫(ウルップ)島と択捉島の間に国境が定められ、択捉・国後・歯舞・色丹の四島は日本領と確認された。さらに明治8年、榎本武揚がまとめた樺太千島交換条約で、樺太を放棄する代わりに、得撫島以北、占守島までの全千島を日本が譲り受けた。
ロシア側にきちんと理解して貰う必要があるが、千島列島は友好的に結ばれた条約で日本領になったということである。 
ソ連軍の理屈では、戦艦ミズーリで降伏文書に署名した9月2日以前に占領したところは、戦闘で奪ったソ連の領土だというのだ!???
以前、ドイツとの戦いは、スターリングラード攻防戦以来の大祖国戦争という大義があった。だが、貧弱な装備のまま、大軍の待つ占守島に上陸させられた8000人のソ連兵にはものすごい理不尽感があったのではなかろうか! 
戦後、日本はロシアに対して「外交上の配慮」をし過ぎてきたのではなかろうか!
これで、占守島攻防戦、北方領土問題への関心、認識が少しでも深まる事を期待します。
※さる7月末には、ロシアが改めて9月2日を「対日戦勝記念日」に制定する動きがあった。ロシア国民にそういう意識を刷り込まれることが怖い!   Kamop

0 件のコメント:

コメントを投稿