対談相手は作家・半藤一利(はんどうかずとし)
半藤一利:作家。1930年東京生まれ。東京大学文学部を卒業後、文藝春秋に入社。『週刊文春』『文藝春秋』編集長、専務取締役などを歴任する一方、”歴史探偵、として著述活動を繰り広げる。主な著作に『漱石先生ぞな、もし』『ノモンハンの夏』など。今夏、編著作『日本のいちばん長い夏』が映画化された(8月7日より新宿バルト9、丸の内TOEI②ほか全国公開)。
「いちばん長い夏」とは終戦の夏、昭和二十年八月のこと。
半藤一利:作家。1930年東京生まれ。東京大学文学部を卒業後、文藝春秋に入社。『週刊文春』『文藝春秋』編集長、専務取締役などを歴任する一方、”歴史探偵、として著述活動を繰り広げる。主な著作に『漱石先生ぞな、もし』『ノモンハンの夏』など。今夏、編著作『日本のいちばん長い夏』が映画化された(8月7日より新宿バルト9、丸の内TOEI②ほか全国公開)。
「いちばん長い夏」とは終戦の夏、昭和二十年八月のこと。
昭和三十八年の六月に、終戦当時、政治や軍の中枢にいた人から、前線で戦った将兵、さらに銃後の人々まで二十八人で、終戦の時何処で何をしていて、何を考えていたかを語って貰うマンモス座談会を開き、『文藝春秋』八月号に載せた。
その対談が四十四年後の平成十九年、本になった。
再現座談会に記録映像を加えた形式の映画で、内閣書記官長・迫水久常が国際弁護士の湯浅卓。日本共産党幹部・志賀義雄が田原総一郎。陸軍中将内閣総合計画局長官・池田純久が鳥越俊太郎。というユニークなキャスティングが沢山あり半藤さんも出演してる。
当時の日本は、終戦工作に当たり中立条約を結んだソ連を頼りしてた。
当時の日本は、終戦工作に当たり中立条約を結んだソ連を頼りしてた。
ポツダム宣言が発表された時(昭和20年7月26日)ソ連の動向を見守っていたが、軍から催促を受け鈴木貫太郎首相は「重要視しない」と発表。それを受けた新聞が「黙殺」と書き、同盟通信が「ignore(無視する)」と訳し、AP通信・ロイター通信が「reject(拒絶する)」と言い換えて報道された。
「日本が(拒絶)したがゆえに、ソ連は満州に侵攻し、アメリカは広島、長崎に原子爆弾をおとしたんだ」と・・・(佐藤尚武氏談)。ひどい話です。
知らない事実がいっぱい。
「日本の外交下手は今始った訳では無く、戦争時から問題が有った!」
「日本の外交下手は今始った訳では無く、戦争時から問題が有った!」
日本は昭和八年に国際連盟を脱退してから日本の外交は機能せず、昭和二十年に終戦、占領下の六年は外交無し。二十七年に主権回復と同時に日米安保条約が発効してアメリカの核の傘に入ったから、昭和の日本に外交らしい外交は存在しないのだ!
北方領土問題も、ソ連の終戦日は9月2日で有る事に問題(空白の言い訳)が有るのだ!
今一度終戦65年目で日本人は学ばなくては駄目になる気がする・・・
Kamop
Kamop
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